1976年頃 オルセー原子核研究所における紫綬褒章感謝の集い

この度の日仏交流150周年において「湯浅年子イベント」が提案されたのは、先生が日仏の科学・文化交流に大変なご尽力をされたことによります。1967年の第一回目の帰国を機に、先生は日本の若手研究者をオルセーにある原子核物理研究所(Institut de Physique Nucléaire 通称IPN)に招き研究経験を積ませるある種のプロジェクトを始めました。そして第二回目の帰国を機に、日仏共同研究(CNRS/JSPS日仏科学協定事業に基づく)を実現すべく「命がけ」の奮闘を始めました。この1973年に結ばれた協定による協同研究は当時ごく稀にしか実現されていませんでした。その他にも物理の分野を超え、留学生、使節団など、あらゆる理由でフランスを訪れる同胞の方々のお世話に奔走され、当時「私設日仏文化大使」と呼ばれるほどであったそうです。 先生はその科学における業績、また日仏文化交流促進への顕著な貢献に対し日本政府から紫綬褒章そして勲三等をお受けになりました。