霧箱写真の例
aaa

ここで、もう少し詳しく先生の研究、特にジョリオ先生から受け継いだ部分について触れたいと思います。ジョリオ先生と湯浅先生との信頼関係は、残されている手紙のやりとりから伺う事ができます。先生は留学当初、ジョリオ先生そして助手のベルトロー先生から直接指導を受け、ジョリオ先生考案の減圧可能なウィルソン霧箱(約1cmHgまで減圧でき、約76倍に飛跡を拡大することができた)を用いて重イオンのα崩壊の測定を行いました。次に当時作動を始めたばかりのサイクロトロン(ヨーロッパ初のもの)で生成された人工放射性核から放出されたβ線の連続スペクトルの研究を単独で行い、この研究によりフランスにおける博士号を取得しました。その後半年間程のベルリン避難中も先生は研究の手を緩めませんでした。シベリア経由で日本に送還された時、先生のリュックにはベルリンで作成した2重焦点型β線分光器が隠されていたそうです。先生は実験装置を自ら考案、作成なさることに長けていました。再渡仏後作成したサイクロトロンに直結して用いる圧力可変・自動(および自記)ウィルソン霧箱で撮ったα線の美しい飛跡はジャーナルの表紙を飾りました。当時弱い相互作用の理論が出されて いましたが、β崩壊の型がフェルミ型かまたはガモフ・テラー型かはまだ分かっていませんでした。先生はこの装置を用いβ崩壊の様々な物理量を測定し多くの論文を出版しました。最後にジョリオ先生から受け継ぎ、先生の研究に於ける信条であった言葉を引用したいと思います。「個人のためではなく、科学の発展のために」そして「最後まで、徹底的に」研究すること。